手記集「いのちの叫び」
死ぬときは一緒と言ってくれた妻へ
58歳・男性
兵庫県在住/肝がん
B型肝炎キャリアの発覚と発病
私は、昭和62年7月の献血でB型肝炎ウイルスのキャリアだと知らされましたが、病院では、キャリアであることがどれだけ恐ろしいことなのか何の説明もありませんでした。キャリアと知らされて4年ほどすると、慢性肝炎を発症しましたが、慢性肝炎の間は今までとそれほど変わりなく生活ができました。
病状の進行
その後、慢性肝炎が、肝硬変、肝がんと10数年の間に進行していきました。好きな電気関係の仕事をさせて頂いており、このまま定年まで勤め上げることを前提に、定年後のことに思いをめぐらせておりました。しかし、定年まで生きられるかどうかすらわからないという状態になり、生活が一変しました。身体に色々な変調が起こり、手術の度に休み、今日はしんどいと言っては早引きする状態で、まともに仕事ができなくなりました。
妻からの肝臓移植
さらに、肝がんの治療が一段落して1年と経たないうちに、医者から「肝臓がもう上手く機能してない。肝性脳症になりかけている。あと半年もすると奥さんの顔もわからなくなるかも」と言われました。私は女房と一緒になるとき、多分俺が先に逝くと思うから、その時は女房に「長い間世話になった、ありがとう」と言うと決めていたのに、顔もわからん様になっては先に逝かれんと思いました。医者は「今なら生体肝移植がある。それも、グズグズしていたらしたくても出来なくなる」と言いました。女房にそれを話すると、間髪を入れずに「私のをあげるじゃないの。同じ血液型だし、上手くいくよ。死ぬときは一緒」と言ってくれました。私は思わず涙がこぼれて、何も言えませんでした。
手術の費用のことでは、大問題がありました。ミラノ基準とやらがあり、手術に保険が効くかどうかは、手術してみないと判らないとのことでした。医者から「とりあえず2000万円用意してください。」と言われましたが、当時、家中の金を寄せ集めても全然足りず、借金をするしかありません。両親はずいぶん前に亡くなっており、私は病院から兄や姉に電話しました。その時、事情を説明し、返す見込みはないが、2人で何とか都合つけてくれとお願いしました。直ぐに「分かった」と言って大金を貸してくれました。
私には4個目のがんが出来ており、保険はきかないということで、結局、私は1600万円近くを支払いました。がんが3個までなら保険が効き、4個なら効かないということ、これはどう考えてもおかしいとは思いませんか。B型肝炎の治療方法も確立されていない今、最後の取るべき手段は肝移植しかない状態なのです。国の過失でB型肝炎になり、肝臓がんになって精神的にも肉体的にも辛い思いをし、さらに、経済的にも辛い思いをすることになりました。
医者に手術の成功率を尋ねたところ、3割しか成功しないと言われました。しかし、私が生きる道は手術しかありませんので、成功率が低くとも選択の余地はありません。手術の直前は「絶対生きて帰るんだ」と思い手術に臨みました。女房と二人揃って手術室に入る際、女房に「また元気な顔を見せてくれよ」と声をかけました。女房も「生きて会おうね」と言ってくれました。私の手術は18時間ほどになりましたが、奇跡的に成功しました。数日後、私の意識が戻り、女房の顔がわかるようになったときは「お互い生きて帰れた」という思いがしました。自分の顔を鏡で見て、それまで汚れていた白目が綺麗になっていたので、本当に死の淵から生還したという思いがしました。
手術後はリハビリを続けたのですが、会社に復帰できるほど元気にはなりませんでしたので、退職を決意し、辞めさせてもらいました。好きな仕事でしたし、もう俺は会社に必要のない人間だと言われたような気がして、本当に落ち込みました。
手術後も続く苦労
手術は成功したものの、肝臓移植後のフォローがまた大変です。今はB型肝炎ウイルスの活動を注射と飲み薬で抑え込んでいる状態で、見かけは元気に暮らしているように見えます。しかしながら、常に体調には気をつけていなければならず、外出は控えるなど制約を受けています。国の責任で肝炎になったにも関わらず、B型肝炎患者に対する国の対応は全く不合理・不公平と言わざるを得ません。全国に30万人とも言われている透析患者の治療費は、全額国の負担です。全国に僅か3000人程の生体肝移植患者もそれに近いことをして頂き、きちんと責任をとってもらいたいものです。
※生体肝移植についての健康保険の適用の範囲・基準は変わっていますので、保険適用の有無は医師に相談してください。