手記集「いのちの叫び」
いつ病気が進行するのか…という恐怖の日々
48歳・男性
大阪府在住/キャリア
私は、現在の病状について、医師からは無症候性キャリアと言われています。B型肝炎ウイルスに持続感染しているけれども、慢性肝炎までは発症していない状態ということです。しかし、これまで何度も肝機能が悪化しており、そのたびに苦しんできました。
最初の自主退職
B型肝炎ウイルスに感染していると初めて告げられたのは、22歳の献血のときでした。なぜ感染したのか、まったく心当たりはありませんでした。病院で検査すると、肝機能の数値が基準値をはるかに超えており、すぐ入院となりました。
私は20歳から郵便局員をしており、当時は配達などの外務作業に従事していました。2か月あまり入院しましたが、退院後も体調は回復しませんでした。全身の倦怠感が続いて仕事を続けるのが難しくなり、同僚に迷惑がかかるので、上司や親と話し合って、やむなく自主退職することにしました。
再び公務員へ
けれども、内勤ならできると思い、国家公務員初級試験を受け直しました。そして、23歳になる直前、もう一度郵便局員になることができました。しかし、夜勤もあって生活が不規則となり、採用からわずか半年後に、再び肝機能が悪化したので入院しなければならなくなりました。私は早く元気になって仕事を全うできるようになりたかったので、すがる思いで当時始まって間もなかったインターフェロン治療を受けました。それでも体調は完全には回復せず、退院後も全身の倦怠感が続きました。療養をしながら勤務するという状況が続き、在籍3年4か月で再び自主退職せざるをえなくなりました。
それでも働きたいと思い、もう一回採用試験を受け直し、28歳のとき、三度郵便局員になれました。けれども、このときも健康状態がおもわしくなく、身体がいうことをきかなくなり、結局、在籍1年2か月で自主退職することになりました。
働きたい!
私も皆と同じように一生懸命働きたいのです。そのために何度も採用試験を受けて合格し、正社員に採用してもらいました。しかし、そのたびにB型肝炎ウイルスのために体調不良となりました。採用から間もないときに長期間仕事を休まなければならないというのは、職場での信頼を築き上げる上で大きな痛手です。体調がすぐれないため、体力的には他の同僚並みの仕事ができません。さらに、大切な時期にいつも長期間仕事を休まなければならず、職場での立場を失い、退職を余儀なくされました。本当に悔しい気持ちで一杯です。
現在は、郵便局のような安定した正社員の職ではないですが、せめて好きな仕事をしたいと思い、同じ配達の仕事として新聞配達の仕事をして生活しています。私は配達の仕事が好きです。郵便局員は続けられませんでしたが、今の仕事は続けていきたいと思っています。
無症候性キャリアの患者は、今は症状が出ていなくても、病気が進行しているのではないかという不安を常に抱えています。また病態が進行すれば、働けなくなる可能性がありますから、いつ収入がなくなるかもしれない、という将来にわたる経済面の不安もかかえながら生活をしています。そのため、たくさんのことをあきらめてきました。
両親への思い
私は一人息子です。両親は、私の体がよくなるように精一杯支えてきてくれました。私は大好きな両親に迷惑ばかりかけてきました。病気がちで、仕事や収入も不安定となり、経済的にも精神的にも負担をかけてきたと思います。本当に申し訳ない気持ちで一杯です。年老いた両親に、早く嫁や孫の顔を見せて安心させたいです。将来への不安は常につきまといますが、なんとか乗り越えていきたいです。
また、私は運良く原告になれましたが、母子感染であることを否定しきれないなどの理由で、原告になりたくてもなれなかった方々が大勢いらっしゃることを忘れることはできません。このような方々のためにも、医療費助成の拡充・障害認定の緩和・差別や偏見をなくしていくこと・完治させる薬の開発・感染者への就労支援および生活支援などの恒久対策により、B型肝炎で悩み、苦しんでいる多くの人々が、普通に暮らせる社会になることを、私は心の底から望んでいます。そのことが、B型肝炎を患い亡くなられた方々に対する、精一杯のつぐないになるのではないか、と私は今思っています。