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手記集「いのちの叫び」

再発を繰り返すガンの恐怖

61歳・男性
奈良県在住/肝がん

 私がB型肝炎ウイルスに感染していることを知ったのは46歳の冬でした。このときから、現在に至るまでの長く苦しい肝臓病との闘いが始まりました。

苦痛の世界を通り抜ける決意

 当時、肝臓の数値が悪くなると強力ミノファーゲンという注射を受けました。多いときには週に3回注射する必要があり、昼休みに会社を抜け出して病院へ行きました。
 47歳の春、医師から肝臓の数値が上がっているため根本的な治療が必要と言われ、頭が真っ白になりました。しかし、ヘルマン・ヘッセの「苦痛の世界を通り抜ける最短の道は苦痛の真ん中を行くことだ」という言葉を信じて、副作用がきついインターフェロン治療を開始することを決意しました。注射を打ってしばらくすると、突然悪寒と40度近い発熱がおき、体のけいれんが止まりませんでした。病院に寝泊りして職場へ通い、連続28日間インターフェロンを投与しました。
 その半年後、再び肝臓の数値が悪化し、週に何度も病院に行かざるを得なくなりましたが、B型肝炎に感染していることを会社には言えませんでしたので、どれだけ辛くても出勤しました。

新薬への期待と副作用

 50歳の時、すがる思いで新薬ゼフィックスの服用を始めました。しかし、わずか1年で耐性ウイルスができて効かなくなりました。利尿剤を飲むと、大量の尿と同時にカリウムも放出され、こむら返りがおきました。声も出せないほどの疲れに襲われ、体重も一気に落ちました。このような状況が何年も続きました。
 55歳の時、アデフォビルという新薬を服用し始めました。しかし、激しい腹痛の副作用に襲われ、続けることができませんでした。期待しては裏切られることを繰り返し、生きることに消極的になりました。

母と妻の支え

 母は私をとても心配し、何かあると電話してくれたり、体に良いものを送ってくれたりしました。しかし当時は母子感染が原因と言われていたので、母にB型肝炎で苦しんでいるとは言えませんでした。
 妻は色々と相談に乗ってくれ、励ましてくれました。妻に理解があったことは本当に助かりました。苦しい人生を彼女は懸命に支えてくれました。

肝臓ガンの発見

 平成18年、突然肝臓ガンが見つかりました。B型肝炎の怖いところは、数値が安定しウイルス量が少なくてもガンを発症するケースがあることです。まさか自分が恐ろしいガンに侵されるとは...。
 手術前日の夕方、妻と公園に散歩に行き、「ガンを手術して治し、新しい薬を飲んで今度こそ元気になろう」と、手術がうまくいくように二人で手を合わせて祈りました。
 肝動脈塞栓術とラジオ波焼灼療法の手術を受けました。手術室に入るとき、家族や兄弟が手を握ってくれました。ラジオ波の手術は針を肝臓に刺して電気を通し、ガンを焼き切るものです。皮膚だけの局部麻酔でなので、肝臓の中で電極が100度に上がった時は、例えようもない痛さでした。

ガン治療と再発

 その後4年間病院に通い続け、養生も続けましたが、突然ガンが再発しました。その手術の1年後、またガンらしきものが発見されました。ガンの苦しい治療と再発を一生繰り返さないといけないのかと、本当に不安です。現在のところ、B型肝炎は、C型肝炎と違って完治しません。

 この病気のために、私の人生は大きく変わってしまいました。妻は、私のストレスにならないように自分を抑えて生きてきました。もしこの病気にかかっていなければ、妻や子どもたちをもっと幸せにしてやることができたのではないか、と今でも思い続けています。
 予防接種の被害者であっても、証拠が残っていないと救済されません。国には、このような被害者を広く救済する義務があります。賠償金の支払いだけでなく、肝炎患者に対する偏見・差別をなくすための広報、肝炎治療費の更なる補助など、肝炎治療体制の一層の充実を行って頂くことを願っています。

B型肝炎情報

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