手記集「いのちの叫び」
子どもらに二次感染をさせた苦しみと副作用の苦しみ
57歳・女性
大阪府在住/慢性肝炎※次ページの母
感染を知った経緯
私は、24才で最初の子である長女を出産しました。このときの血液検査で、私は医師からB型肝炎ウイルスに感染していると告げられ、生まれた長女も母子感染により感染していると知らされました。
27才のときに第二子の長男が生まれました。長男もB型肝炎に感染していることがわかりました。当時は、今のように母子感染をブロックするワクチンがない時代で、どうすることもできなかったのです。
肝炎の発病とインターフェロン治療
平成16年6月、私は、旅行に行く前に血圧でも測ってもらおうと近所のクリニックに行き、そこでの血液検査の結果、すぐに入院治療が必要だと告げられました。入院してすぐにインターフェロン治療が始まりました。この治療は6か月続きました。1か月余りで退院しましたが、その後も、インターフェロン治療による副作用に苦しめられました。
最初に、副作用による甲状腺機能低下症を発病しました。また、背中が痛く、イライラしてどうしようもなく、指圧に通い、頭痛薬と精神安定剤を飲みながらようやく眠るという毎日でした。うつ症状で、1、2時間ぐらい声をあげて泣いて止まらないこともありました。
6か月のインターフェロン治療は終わったけれど、期待された効果もなく、むなしく苦しいだけのインターフェロン治療でした。
投薬治療と副作用
インターフェロン治療の終わる少し前から抗ウイルス剤「ゼフィックス」の投薬治療を始めました。ゼフィックスの服用を始めて1か月を過ぎた頃から、その副作用で後頭部がしびれだしました。後頭部のしびれと頭痛がだんだんひどくなり、頭のてっぺんの血管が切れてしまいそうなくらい痛み、夜は眠れず、苦しみがいつ果てることもなく続きました。「もう、あと1錠でもこの薬は飲むことができません」という私の必死の訴えに、先生はゼフィックスの処方を中止しました。
しかし、それから2か月が経った頃、またGPTの数値が上がりました。再び入院を指示され、ゼフィックスの処方を受けました。飲み始めて2日目には甲状腺機能の低下のため、涙が止まらなくなり、医師から、精神安定剤、頭痛薬等の薬が追加されました。結局、ゼフィックス1錠を飲むために7種類の薬が処方されることになったのです。入院してから1か月経った頃からうつ状態がひどくなり、夕方になると歩けなくなりました。
退院して自宅に帰ってからも、ゼフィックスの副作用の頭痛とうつ状態はだんだんひどくなりました。15分と立っていられなくなり、自分が自分でなくなり、電話もかけられなくなりました。計算もできなくなり、夢遊病状態になって、涙が出て泣きながら家の中をうろつく生活になってしまいました。もう死ななければこの頭痛からも解放されないと思い、どうしたら死ねるのかばかりを考えました。
その後、ゼフィックスの量を減らしながら治療を続け、だいぶ体が楽になりました。「このままではいけない。闇の中から抜け出そう」と思い、泣きながらまた仕事に出るようになりました。
しばらくすると、バラクルードという治療薬が保険適用になりました。しかし、服用してすぐにひどいうつ状態と頭痛、手先のしびれが襲ってきました。この時、1錠飲んだだけで副作用が2~3日続き、やはり私にはこの薬もあわなくて、続けて飲むことはできませんでした。
私のねがい
2年近くの副作用との闘いが続いていた時、母子感染した長男が、自分も肝炎を発病して苦しむのではないかという不安で、引きこもりになってしまいました。そこから、私と長男の壮絶な心の葛藤が2年間続きました。
そんな中、私の相談相手だった長女もB型肝炎を発症してしまいました。長女はそれでも明るく振舞ってくれますが、なおさら私は申し訳ない気持ちになるのです。
B型肝炎の患者は、病気の進行、治療の苦しみ、高額な医療費の出費など以外にも、周りからの差別で日々苦しんでいます。
普通に大好きな今の仕事を続けたい
普通に人生を長く分かち合いたい
普通に人を長く愛したい
そんな気持ちでいっぱいです。