B型肝炎訴訟〜これまでのあゆみ〜
1948(昭和23)年、国は伝染のおそれがある疾病の発生、まん延を予防するために予防接種法を定めて、全ての国民・住民に予防接種を義務付けました。そして、違反者に対しては罰則もありました。国は、注射針・注射筒を使い回せば肝炎になるおそれがあることを知りつつ、さらに、1953(昭和28)年には、WHO(世界保健機関)から針・筒の使い回しをやめるよう勧告を受けていたにもかかわらず、1988(昭和63)年に指示を出すまで、約40年間も使い回しを放置し続けました。そのため病気を予防するための予防接種が、かえって多大な健康被害を生み出す結果となったのです。
国は最初から責任を認めていた訳ではなく、23年間にも及ぶ裁判を経なければなりませんでした。B型肝炎訴訟の始まりは1989(平成元)年です。5人の被害者が札幌地方裁判所に裁判を起こしました。しかし、第一審判決では国の責任は否定されました。これに対し札幌高等裁判所の控訴審で原告側が逆転勝訴しました。そして2006(平成18)年6月16日、最高裁判所も、原告らがB型肝炎ウイルスに感染した原因は、国が実施した集団予防接種にあるとして、国の責任を認めました。ところが最高裁判所の判決後も、国は札幌の原告5人以外の患者に対しては全く責任はないとして、救済を拒みました。そこで、札幌の被害者・弁護団が全国に呼びかけて、2008(平成20)年、集団予防接種による感染被害の救済と共に、全てのウイルス性肝炎患者が安心して治療が受けられる社会の確立を目指して、全国10の地方裁判所に集団訴訟を起こしました。原告団は、全国各地で被害を訴え、街頭演説や座り込みを行い、多数の署名を集めて、ついに国に責任を認めさせるまでに至りました。
2011(平成23)年6月28日、国は責任を認めて、原告団・弁護団と「基本合意」を締結しました。そして首相は、被害者に対して直接謝罪をしました。その後、被害救済のために「特定B型肝炎ウイルス感染者給付金等の支給に関する特別措置法」が定められて、2012(平成24)年1月13日から施行されています。このようにして、ようやく加害者である国が、被害者を救済するという当然のことが実現されるようになりました。
この被害は決して他人事ではなく、また過去の問題でもありません。なぜこのような大きな被害が生じ、どうすれば再び同じような被害が起きないようになるのか、この国に暮らしている全ての人が自分自身の問題として関心を持ち続けることが大切なのです。
1948年 | 予防接種法が制定、施行。全国民・住民に対し予防接種が義務付けられる。 | |
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1953年 | WHO(世界保健機関)が、肝炎ウイルスの感染予防のため予防接種の際に注射器の連続使用を止めるように勧告。 | |
1988年 | 頃まで | 国は危険性を知りながらも、現場で行われている注射器の連続使用を放置。 |
1989年 | 6月30日 | 集団予防接種によりB型肝炎ウイルスに感染した5人の患者が、札幌地方裁判所に裁判を起こす。 |
2006年 | 6月16日 | 裁判は17年もの長い間続き、ようやく最高裁判所判決。5人の患者全員について、幼い頃に受けた集団予防接種で注射器の使い回しが行われB型肝炎ウィルスに感染したとして、国の責任を認める。しかし判決後も、国は5人の患者以外については責任を認めなかった。 |
2008年 | 3月28日 |
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7月30日 |
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患者が全国各地の街頭、マスメディア、国会議員、地方議員議会に被害を訴える。 学生を中心とした支援団体「オレンジサポート」などが結成され、多くの人たちがこの問題を知るようになる。 |
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2009年 | 2月4日 | 国や地方公共団体が、肝炎患者に対する支援をすることを定める肝炎対策基本法成立。 東京での早期和解を求める抗議パレード。 |
2010年 | 4月 | 厚生労働省前での第1回座り込み。 |
5月 | 第2回座り込み。 | |
10月17日 | 「オレンジサポート」による全国同時シンポジウム開催。 | |
11月 | 第3回座り込み。 | |
12月 | 第4回座り込み。 | |
2011年 | 1月11日 | 札幌地方裁判所で、裁判長から和解所見が国と患者に示される。 |
1月22日 | 患者たちは、この間解決を待てずに亡くなる患者が多くいることも考え、和解を受け入れることを決意。 | |
6月28日 | 国と患者たちの間で、予防接種によるB型肝炎ウイルスに感染した患者の被害を回復するなど「基本合意書」を締結する。 菅首相(当時)が患者に謝罪する。 |
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2012年 | 1月13日 | 「特定B型肝炎ウイルス感染者給付金等の支給に関する特別措置法」施行。 |
5月31日 | 「厚生労働省・真相究明のための検証会議」が初めて開催され、以後定期的に開催。患者から2名、患者側弁護士1名が委員として参加。 | |
6月28日 | 基本合意一周年を記念して厚生労働省前で集会。 和解手続が遅々として進まないことを訴える。 |
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7月11日 | 厚生労働省内にて、原告団、弁護団が厚生労働大臣と面会。第1回大臣協議を行い、具体的施策を要請する。以降、年一回協議を継続していく予定。 | |
弁護団と国の実務協議において、基本合意では不明確な細かな和解条件について協議。 以後、定期的に国と協議をしている。 |
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〜現在 | 基本合意締結後、更に多くの肝炎患者が裁判に参加するようになる。 高額な治療費の負担をなくし、差別偏見を受けることなく安心して暮らせる社会の実現のため、恒久対策を国に働きかけをしている。 また、同種の被害が二度と起こらないように、真相を究明する活動を継続している。 |